ふたつのヨハネ [ヨハネ受難曲]
東京ヨハネ公演の、打ち上げの時に、
ソプラノ・ソロの美しい藤崎さんがおっしゃいました・・・
「不思議な事に、同じ指揮者、同じソリスト、同じオーケストラ、
同じコーラス・・・でも、同じ音にはならないのですね。」
そして、また
マエストロ福島もおっしゃいました・・・
「富士ヨハネからの一カ月で、僕は別人になりました。
それほど、バッハやヨハネの力は偉大だったという事です。」
昨日、私はヨガをしながら、考えていました。
「一秒前と身体は、違っていく。新しい細胞が生まれ、
古い細胞は死んでゆく。」
物事は移りゆきます。
しかし、バッハの作品は永遠なのです。
2011年11月23日
その日は、東京ジングフェラインの第4回定期公演の日でした。
演目は、バッハ作曲「ヨハネ受難曲」
素晴らしいオーケストラ、素晴らしいソリスト、
素晴らしい指揮者、そして、我々東京ジングフェラインと
賛助出演の富士ベートーヴェン・コーラスの面々。
「コーラスですけど、リハーサルと、本番と物凄く違うので、
びっくりしました」(藤崎先生・談)
「だって、福島先生があんなに、凄い指揮をなさるから・・・」
(副団長・相澤談)
そうです。福島先生の指揮は、本当に凄まじいものでした。
両手から溢れ出るパワーと、
全身から放出されるエネルギーとオーラ。
そのエネルギーに、県立音楽堂の中のすべてが
共鳴していました。
観客の心と、演奏者の心が一体になったのです。
「最終曲のコラールで定形通り謳い上げられる
キリストの復活と栄光とを讃えるその響きに包まれながら、
一向に終息に向かわないあの日以降の過酷な現況へと
自然と思いは向かって、
信仰心あるわけではないが奥底の方から
真摯な祈りを牽き出されないではいられなかった。」
(PJnews.記事:石川雅之
http://www.pjnews.net/news/792/20111125_1
マエストロは後からおっしゃいました
「冷静に振り終えました。」
・・・えっ、あの熱演が?
演奏会には昔から言われている、
何種類かのパターンがあります。
1)指揮者が酔っていて、演奏者は冷めている
観客は当然冷めている・・・これは、公演失敗の例
2)指揮者が酔っている、演奏者が酔っている、
観客は冷めている・・・これも失敗
3)指揮者は冷静、演奏者と観客が音楽に酔っている
・・・これは、ほどほどに成功
4)指揮者は冷静、演奏者も冷静、観客が熱狂している
・・・一番の成功した公演の例。
今回はどうでしょうか・・・
3と4の間・・・だと良いな・・・という感じですが・・・
自分たちで言うのもおこがましいですが・・・
かくいう、私も、冷静でした。
それは、富士の時に感情をコントロール出来なかった事を
反省して、冷静に音楽と向き合っていたのでした。
とにかく、入りすぎてしまったら、
いけません。
どこかに客観的な自分を残しておかないと。
35番の美しい藤崎さんのアリアも、
聴き惚れないで、自分達の出の、37番コラールの出だしの高音の
為に、軟口蓋を持ちあげて、
鼻に息を通しておく・・・そんな事を
ソプラノに伝え・・・
そう、基本的に人間も、オーボエや、トラベルソと何の変わりもありません。
管楽器の人たちは、よく、す~~っと楽器に息を通してますが、
あんな感じで、歌う人間も息を鼻に通したりします・・・
(って、私だけ?じゃ、ないですよね?一流の歌手はすぐ歌えるのかも
しれませんけど・・・私には、ムリムリ。上げておかないと、すぐ、
落っこちます。)
1000人の音楽堂満員の聴衆の祈りと、
舞台の上の我々の祈りが、一体となって・・・
天のお父様に、届いたでしょうか・・・。
コラール40番終曲
ああ、主よ、どうかあなたの愛する天使に命じ、
最後の時には 私の魂を
アブラハムのひざの上に運ばせてください、
この体をその寝室で
苦しみも痛みもなく安らかに
最後の審判の日まで休ませてください!
その日には、私を死の眠りから覚ましてください、
私の眼があなたの姿をこの上ない喜びの内に
とらえられるように。おお、神の子よ、
私の救い主よ、恵みの座よ!
主、イエス・キリストよ、
私の願いを聞いてください、
私はとこしえにあなたをほめ称えます!
何度でも何度でも歌いたい。
この曲を
この祈りを。
Durch Jesum Christum,Amen!
ソプラノ・ソロの美しい藤崎さんがおっしゃいました・・・
「不思議な事に、同じ指揮者、同じソリスト、同じオーケストラ、
同じコーラス・・・でも、同じ音にはならないのですね。」
そして、また
マエストロ福島もおっしゃいました・・・
「富士ヨハネからの一カ月で、僕は別人になりました。
それほど、バッハやヨハネの力は偉大だったという事です。」
昨日、私はヨガをしながら、考えていました。
「一秒前と身体は、違っていく。新しい細胞が生まれ、
古い細胞は死んでゆく。」
物事は移りゆきます。
しかし、バッハの作品は永遠なのです。
2011年11月23日
その日は、東京ジングフェラインの第4回定期公演の日でした。
演目は、バッハ作曲「ヨハネ受難曲」
素晴らしいオーケストラ、素晴らしいソリスト、
素晴らしい指揮者、そして、我々東京ジングフェラインと
賛助出演の富士ベートーヴェン・コーラスの面々。
「コーラスですけど、リハーサルと、本番と物凄く違うので、
びっくりしました」(藤崎先生・談)
「だって、福島先生があんなに、凄い指揮をなさるから・・・」
(副団長・相澤談)
そうです。福島先生の指揮は、本当に凄まじいものでした。
両手から溢れ出るパワーと、
全身から放出されるエネルギーとオーラ。
そのエネルギーに、県立音楽堂の中のすべてが
共鳴していました。
観客の心と、演奏者の心が一体になったのです。
「最終曲のコラールで定形通り謳い上げられる
キリストの復活と栄光とを讃えるその響きに包まれながら、
一向に終息に向かわないあの日以降の過酷な現況へと
自然と思いは向かって、
信仰心あるわけではないが奥底の方から
真摯な祈りを牽き出されないではいられなかった。」
(PJnews.記事:石川雅之
http://www.pjnews.net/news/792/20111125_1
マエストロは後からおっしゃいました
「冷静に振り終えました。」
・・・えっ、あの熱演が?
演奏会には昔から言われている、
何種類かのパターンがあります。
1)指揮者が酔っていて、演奏者は冷めている
観客は当然冷めている・・・これは、公演失敗の例
2)指揮者が酔っている、演奏者が酔っている、
観客は冷めている・・・これも失敗
3)指揮者は冷静、演奏者と観客が音楽に酔っている
・・・これは、ほどほどに成功
4)指揮者は冷静、演奏者も冷静、観客が熱狂している
・・・一番の成功した公演の例。
今回はどうでしょうか・・・
3と4の間・・・だと良いな・・・という感じですが・・・
自分たちで言うのもおこがましいですが・・・
かくいう、私も、冷静でした。
それは、富士の時に感情をコントロール出来なかった事を
反省して、冷静に音楽と向き合っていたのでした。
とにかく、入りすぎてしまったら、
いけません。
どこかに客観的な自分を残しておかないと。
35番の美しい藤崎さんのアリアも、
聴き惚れないで、自分達の出の、37番コラールの出だしの高音の
為に、軟口蓋を持ちあげて、
鼻に息を通しておく・・・そんな事を
ソプラノに伝え・・・
そう、基本的に人間も、オーボエや、トラベルソと何の変わりもありません。
管楽器の人たちは、よく、す~~っと楽器に息を通してますが、
あんな感じで、歌う人間も息を鼻に通したりします・・・
(って、私だけ?じゃ、ないですよね?一流の歌手はすぐ歌えるのかも
しれませんけど・・・私には、ムリムリ。上げておかないと、すぐ、
落っこちます。)
1000人の音楽堂満員の聴衆の祈りと、
舞台の上の我々の祈りが、一体となって・・・
天のお父様に、届いたでしょうか・・・。
コラール40番終曲
ああ、主よ、どうかあなたの愛する天使に命じ、
最後の時には 私の魂を
アブラハムのひざの上に運ばせてください、
この体をその寝室で
苦しみも痛みもなく安らかに
最後の審判の日まで休ませてください!
その日には、私を死の眠りから覚ましてください、
私の眼があなたの姿をこの上ない喜びの内に
とらえられるように。おお、神の子よ、
私の救い主よ、恵みの座よ!
主、イエス・キリストよ、
私の願いを聞いてください、
私はとこしえにあなたをほめ称えます!
何度でも何度でも歌いたい。
この曲を
この祈りを。
Durch Jesum Christum,Amen!
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